カメラコーナー

風景 はてな

どこかに出かけて撮ることが好きで、昔はどこへ行くにもカメラを片手に出歩くことが多かった。近場の風物を中心に撮したが、中々思い通りに撮れない。その中から少し珍しい景色と思われるものを選んでみた。このような普通の写真がひょっとしたら将来大切な証拠になるかも知れない。


目黒SUN祭り
 目黒のサンマというとすぐに落語に出てくる「さんまは目黒に限る」と言った殿様の名台詞(落ち)を思い出す。現代の目黒のサンマは写真の通りで、お祭り広場に無数のサンマを並べ、長い台の上に乗せて焼いている。暑い日盛りの中、魚の脂が飛び、煙に巻かれるのでゴーグルで目を覆い若い者が大奮闘している。遠い漁港(気仙沼など)から大量のサンマを運び込み、漁師の若者達がお祭りに来るお客達に無料で(それが目的の客にも)振る舞っているのである。写真ではそのごく一部しか撮れていないが、横の広がりなどを想像してみてください。
しかし悲しいことにその後東日本大震災3.11やコロナのパンデミックにより中止され、こうした催しが今や遠い昔になってしまった。ますます世界が混乱し、全ての物価が高騰する時代にあって、果たしていつ平和と安定を取り戻すことができるのだろうか。 2007年9月撮影


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大きな鯉のぼり
  都会では余り見かけなくなったが、かつては子供の健やかな成長と家族の幸せな団らんを願って5月5日(こどもの日)に家の庭や軒先に飾ることが恒例行事のようになっていた。子供の頃の「鯉のぼり」が今では懐かしい。この写真の鯉のぼりはとてつもなく大きなもので十数メトルはあったと思う。真鯉一匹で少し淋しそうだが、この大きな鯉のぼりをまっすぐ横に浮かべて膨らませ、きれいに刈り込まれた草の上に影まで映して泳いでいる姿は雄大である。人工的な芝生の中に渦巻き状の白い模様が描かれているが、遠くの林を背景にこの奇妙なバランスが目についた。 
 2007年4月撮影


錦鯉の遊泳
 車でドライブに行ったときに忍野八海で撮った一枚の写真。ちょっと見にはトリックではないのか、この写真は可笑しいぞとなるだろう。上の「鯉のぼり」と同じように草よりも上を泳いで、しかも川を横断するような姿に見える。種を明かせば前日の大雨で増水し池の水位が上がって土手の上の方まで満杯になっていたが、周りの歩道がそれより高くなっているのでほぼ道路は冠水していなかった。お陰でちょっと珍しい写真ができた次第です。一緒に行った家族の者が気づいたかどうかは分からないが、ふとした発見があり写真に撮るのも楽しいものです。 
 2016年8月撮影



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祭りの踊り手達
 目黒SUN祭りの一つ、場所は目黒川のふれあい橋の上。各種の踊り手達が腕自慢というか郷土の踊りを披露しお祭りを盛り上げていた。近くに寄ってみると中々迫力があり圧倒される。練習を重ねているだけあって普通の盆踊り大会とは訳が違う。グループ毎に人が変わり、踊りも違い、見ている方は楽しい。ただこの写真は距離が近すぎて全体が入らないかったところは失敗だったかな。
 2007年9月撮影




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踊りの締め
 このグループは子供を先頭に踊りの締めをやっていた。大人に負けないかっこいい踏み込みと力のある声をあげて締めくくっていた。大人に交じり、猛暑の中、お疲れ様でした。
 2007年9月撮影


渋谷駅前交差点の一団  



車から手を振り挨拶

 ゴーカートに乗った一団が渋谷のスクランブル交差点の手前で信号待ちしている所をパチリと写した。もちろん一行は各自免許証を持っているだろうし、交通ルールもちゃんと守っている。この手の乗り物は一時期流行していたが最近は街の中では見かけなくなった。交通遊園地や許可された場所があると聞く。
台車だけのようなこの低い位置で、ドアも天井もない裸同然の車で町中を走ることは普通の人には先ずできない。乗っている人たちはかっこいい姿を周りに見せたいし、スリルを味わいたくてしているのだろう。ゴーカートはおもちゃのようなものからプロ志向まであるらしい。本物は時速37Km迄出るとか、危険を伴うがスリル満点なドリフト走行なんていう技があるそうだ。どうかご安全に! 
 2017年1月撮影  

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駅前交差点で信号待ちする人々に手を振り通過する最後尾のゴーカート



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駅ホーム前の工事
 渋谷駅のホームで電車待ちしていたら、目の前に工事現場が広がっていて大きな騒音が響いていた。オレンジ色の重機も間近だったので思わず身を引きそうになった。それにしてもずっと見慣れてきた渋谷駅の風景が変わろうとしている今、時代が変わり都会が変身するのだと感じた。とは言え、数分ごとに電車が出入りし、大勢のお客が乗り下りするホームに隣接した工事なのに普通に考えても事故が起きないのが不思議に思えた。そうこうして写真を写している内に山手線内回りの電車が目の前に入ってきた。
 2021年12月撮影


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巨大オブジェクト
 写真が何を写しているのか分からなくて申し訳ないが、ここは東京大手町のシンボル的な場所である。オレンジ色の物体は10年余り前に建てられたオブジェクトで、言うなればそのフォルム、色、曲線が異様な存在感を示しているのが印象的。もちろん周りは直線的にそびえ立つ高層ビルばかりだ。昔私はこの辺りにある古いビルの1フロアを借りていた会社に勤務していたが、半世紀以上前のことであり、最早この地区も大きく様変わりしている。変わっていないのはJR東京駅北口から歩いても10分以内、丸ノ内線大手町駅はこの下にあり、歩いて1~2分ほどである。東京駅前の丸の内とこちらの大手町、どちらも日本の憧れのビジネス中心街であり、それは今も変わっていないようだ。
 2010年11月撮影


昼下がりの子供公園
 ある日、子供公園の桜を写しに来たのだが子供たちも、親たちも誰も居ない。公園の時計が昼の1時丁度を指している。住宅地の中にある少し広い公園なのにこの時間に人が居ないことが不思議であった。桜が満開の公園で普段はこの辺りに人がいて賑やかなはずなのに誰も人が居ない一瞬があった。桜の木の向こうに金網のフェンスが張ってあるが更にその向こうにもう一つ広場がある。少し階段を下りる感じで手前の広場より低地になっている。見えないだけであちら側には子供達がいたかも知れない。
 2004年3月撮影


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建設中の新道路と旧道路
 新設道路はまだ未完成であるが、写真右寄りの旧道路と比較すると新旧の違いがよく分かる。 新道路は街路灯はあるが電柱電線などがなく、直線的で道幅もかなり広い。一方旧道路は電柱と電線が絡み合い、道幅も非常に狭く、この写真では見えないが七曲がりと言われるほどくねくねしている。旧道路は日本の代表的な風景に重なる。新道路の方は補助46号線の整備事業として始められ、長い期間をかけて完成した。完成した道路のお陰で車の流れが変わり一般の生活道路(旧道路)も安全、安心になってきた。なお新道路は他の計画事業との関係でこの撮影から7年余りすぎて全面開通となった。 
 2006年10月撮影



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かつての東京ミレナリオ
 かつて東京丸の内で年末年始に行われたミレナリオ(東京駅丸の内方面~丸の内中通り~東京国際フォーラム)は、東京駅丸の内口の復元工事に伴い2005年にいったん中止となり、その後2012年に「東京ミチテラス」として再開されたそうである。後者については実際に見ていないが、調べたところ東京駅丸の内付近を中心にイルミネーションで飾りつけ年末を迎える感じで、東京ミレナリオのような豪華絢爛さはないという。事故につながる危険を回避する意味で仕方ないのかな。 
 2002年12月撮影


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フェスティナレンテとHONBA



 20世紀から21世紀にかわるミレニアムイヤーを迎えるにあたり、日本橋の歴史的文化的遺産を基盤にしながら新しいものごとを世界に発信するため実施されたイベント。この巨大な建造物は何かというと100年に一度、世紀がかわる時に目を覚まし、町や人々が豊かに健康に暮らしているかと空から眺め、街に舞い降りてくるHONBAという創造物とのこと。高さ15メートルで花と緑で作られている。 
 2000年12月撮影


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<日本橋フェスティナレンテ>
   開催期間:2000年12月14日~2001年1月18日
   主  催 :日本橋21世紀イベント実行委員会
注)HONBAは日本橋地域の守り神              

西暦2000年は日本橋が架けられてから400年目に当たるとのことであった。 歴史の変遷と重さを感じる。
下の写真3枚はクリックで拡大できます
                
 日本橋に関する道路元標
 重要文化財指定 日本橋の由来  フェスティナレンテとHONBAの説明看板
   

 HONBA跡のモニュメント  
 

先端が蜘蛛の糸のように天に向かって伸びているかのようように見える。それを取り囲み、高層ビルがそびえている。

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 「東海道五十三次之内日本橋」歌川広重筆

 現在の日本橋 (高速道路が川に沿い高いところを走っている)
             
 日本橋を渡る大名行列  橋の上部をまたぎ横断する首都高速道路            道路の反対側にある花壇からの写真

<上の3枚の写真について>
日本橋川は千代田区及び中央区を流れる一級河川(1965年指定)である。歴史によればもとは神田川の支流であって、江戸時代から幾多の治水が行 われ、その昔には広重の日本橋絵図にもあるとおり魚市場が立ち賑わっていたという。日本橋川は皇居のお堀近くを流れ更に下流に行くと日本国道路元標のある日本橋が架かっている。なお、この川には「神田橋」と名の付く橋もある。(本郷通り)










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