序文と解説
<説明>
麦踏みの寡黙が山に雪降らす
【季節 春】 山 は白い雪に覆われ、麦踏む人の寡黙さが余計に寒さを感じさせる。人の力で「山に雪降らす」ことはできないが、違う視点からそのように表現したかった。
万象の動きて池の水温(ぬる)む
【季節 春】 小さな公園の池にも様々な鳥や生き物が来て日毎に暖かくなる一方、池の水にも温かさを感じる様になり、人の出も多くなってきた。
旅誘うホームページの花便り
【季節 春】 ネットで初めてホームページに接した頃は珍しさや楽しさがあった。旅の雑誌に美しい景色を載せ、春暖かそうな桜の写真 と便りを見て感激ししたものであった。
文豪の館に紅白梅開く
【季節 春】 確かウオーキングに参加して訪れた屋敷だったが、鎌倉辺りなのか残念ながら記憶が定かではない。
舞いながら阿国(おくに)の出ずる宵桜
【季節 春】 風に吹かれ時折散り始めている桜、そこに踊りながら阿国が出てきそうな幻想的な世界があった。
花冷えの雷(らい)と思しき 仁王かな
【季節 春】 桜は咲いても肌寒い日がある、 仁王門をくぐり抜けようとしたときに遠くの方で雷のような音がした。上を見上げると怖い形相をした仁王像の姿が目に映った。仁王像は雷神とは異なるものの、何と似た形相をして
いるではないか。
白い滴 琥珀(こはく)に融けて春の雪
【季節 春】 出張先ホテルのビュッフェで朝食の後コーヒーを飲む。温かいコーヒーにミルクを落としたら渦を巻きながら消えていった。曇りそうなガラス越しに外を見ると白い雪が舞っていた。
エキコンを外から覗く春の宵
【季節 春】 東京駅丸の内北口ドームでエキコンが時々行われ、帰宅の時間にはすでに満員で中に入ることはできないかったが、コンサートの演奏を人垣の外からも聴くことができた。
妻が置く春雛 ここが終(つい)の家
【季節 春】 長い転勤生活を終え東京に戻り一年目の雛祭り、両親とも既になくなったが、辿り着いたこの実家が自分たちの住まいかと思うと 感慨深いものがあった。
木の芽風師弟に歳月遠からず
【季節 春】 東京に戻り、知り合いがいるある俳句の集いに行き、そこで偶然、高校時代の恩師に出会った。驚きもあったが一瞬、40年ぶりという歳月の長さを忘れてご挨拶した。
啓蟄(けいちつ)の寝覚めし朝の森ぬける
【季節 春】 学生の頃、農林省林業試験場に入って目黒不動尊までよく歩いていた(現・林試の森公園)。あの頃は塀の破れや高い生け垣のような隙間から忍び入り、鬱蒼と茂る森の木や珍しい昆虫、小動物に出会う
ことができた。この句はまだ肌寒い春先の朝の様子を描いて詠んだだもの。
啓蟄とは「二四節季の一つで、新暦三月五日ごろにあたる。暖かくなって、冬眠していた蟻・地虫・蛇・蛙などが穴を出るころとされる。」(合本俳句歳時記第4版 角川学芸出版より引用)
墓地裏の畑打つ黒き影と会う
【季節 春】 富士山の麓にある故郷のお墓参りに行くと、その共同墓地の裏が畑であった。 耕している人影を見て先祖代々から黙々と 続く営みを感じた。終戦直後の小学生低学年の頃、食糧不足などのため疎開して住んだことがある。
春疾風(はるはやて)首塚と呼ぶビルの角
【季節 春】 東京大手町のビルの一角に平将門を祀る大きな祠があった。同じ場所に今も立派な祠が建て替えられて残っている。ここは将門の祟りを恐れて取壊や移動もできないとされるパワースポットである。現在は高層ビルの合間に置かれているが、千年前はおそらく自然のままの武蔵野原野があったことだろう。
昔の地名は武蔵国豊島郡芝崎村という。
春灯の忘れ形見に古書の数
【季節 春】 父が亡くなって何年か後に大き目な衣装ケースから形見品がでてきた。たいした本ではないと想うが父 が好きな謡曲の本であったし、捨てるには忍びなく取っておくことにした。
花薊(あざみ)荒らし 外人影と去り
【季節 夏】 場所は横浜の外人墓地か山下公園か五十数年以上前のことでその記憶が定かではない。あざみには鋭 い刺があり、特に鬼あざみは背が高く花はきれいだが荒々しさがある。現在は抱いていないが、外国人が少なかった当時は外人を見ると少し違和感を感じることがあった。
初夏に酔う大蛇の舞と剱の舞
【季節 夏】 岡山県総社市へ行った折に見た伝統的な芝居踊りであるが、神話に出てくる八岐大蛇を武将・素戔嗚尊(すさのうのみこと)が刀で退治するお話であった。大蛇にお酒を飲ませ酔わせて退治したという。
明け易き渓(たに)空 力張るごとし
【季節 夏】 渓流と夏の早朝は気持ちが良い。これは若い頃(学生時代)の俳句。「明け易き」が夏の季語
台風のそれし夜の水桃浮かす
【季節 夏】 昔の天気予報は時に外れることがあった。肩すかしの台風と台所の水につけておいた桃。大きな地震で浮くはずない果実が浮いていたように思えた。もしかしたら夢でもみていたのかもしれない。
刻(とき)を止め路傍に咲くや時計草
【季節 夏】 林試の森公園の羅漢寺川プロムナードに紫陽花の花を撮影に出かけた。その中に時計草が二本並んで見事に咲いている。もちろん時計草の針は動かず止まっていたが初めての出会いに息をのんだ。
夏の峰飾るものなきシャツの白
【季節 夏】 これは立山連峰の一つに登ったときだったと思う。日帰りの軽装のまま登頂したが、頂上に立つと気分がとても爽快になった。特に飾るものがなくても登頂した喜びは何物にも代えがたい。薄着で恥ずかしさもあったがひん やりとする白いシャツが誇らしくすら思える。
百日紅(さるすべり)少女が風の芯となる
【季節 夏】 目黒不動尊の裏手にある公園に私もよく行ったことがある。毎年夏頃になると百日紅の花が咲き、元気な子供達がその公園で遊んでいる。風が吹いて渦を巻くこともよくあるが、その中の一コマである。
ネットで調べると五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所とされている。また目黒不動尊は当山を泰叡山、寺社名を瀧泉寺と称している。
緑陰に朝より白き怠惰心
【季節 夏】 会社入社後、多忙な仕事と連日の暑さが続き、その日も朝からの猛暑となり、やる気がでず、つらい日もあった。そのような心境を書いたものである。ところで昔は電卓やパソコン、スマホもない時代だったので特に経理部門は入社してすぐに算盤が必須となり、否応なく使い方を習ったものである。本社勤務時代は月次決算、期末決算(当時は6カ月)と日常会計、銀行取引に追われる毎日であり、更に会計監査、監査役監査、税務調査など続き、土曜日も半日出勤で会社を休む暇が余りなかった。
童らのスタンプラリー 夏来る
【季節 夏】 覚えている人もいるだろうか。小学生と保護者が駅を巡るスタンプラリーが大流行になった時期がある。夏休みに入るとまるで風物詩を見るようにどの駅も大賑わい、まさに本格的な夏到来を思わせた。
橋上に踊り高まる祭りかな
【季節 夏】 これは目黒区のサン祭りを中心に行われた祭りで、目黒川の田道橋辺りで多くの踊り手が来てお囃子 と共に日頃の腕前を披露していた。踊る阿呆に見る阿呆?とばかり、特に橋の上は盛り上がっていた。
祭りは俳句歳時記によれば夏の季語であるが、春であれば春祭、秋であれば秋祭となる。例えば秋の収穫を祝う祭りは秋祭<秋の季語>となっている。こんなに季節感を大切にしているのは日本くらいかなと思う。
炎天の力となりて杭打ち込む
【季節 夏】 近くの工事現場付近、昔は今のような機械は殆どなく人力でやっていた時代だった。この俳句は戦後昭和の話である。
蜉蝣(かげろう)の翅透けつつも草の色
【季節 秋】 私が小学校低学年の頃のことである。父の務めの関係で蒲田の官舎に住んでいたが、周囲の焼け跡にも草が生え小動物が生きていた。身近なことに興味を持ち焼け跡を観察するようになったが、これはその当時の記憶をもとに詠んだもの。
停車場に草の絮(わた)飛ぶ音もなし
【季節 秋】 蒲田時代を思い出して詠んだもの。お客も少ない電車の停車場にどこからともなく風に乗って草の穂絮が飛んでいるという長閑な風景、当時は住んでいる近くに電車車庫があって、停車場より車庫といった方が正しいようだ。昔は焼け跡にそんな風景が残っていて懐かしい。
鳳仙花の実の散る土の明るさだけ
【季節 秋】 今の住居に移転し、庭に植えられている鳳仙花を見ていた時、日の当たる庭の土にだけその 実が散っている。何か意図したかのように明暗が分かれている様を見た。
胸浸す風あり蜻蛉(あきつ)の入りゆく森
【季節 秋】 郷愁のような青春時代の情景、トンボは今よりも多かったように思う。調べてみると「あきつ」はトンボの古い呼び名であり、漢字では「秋津」または「蜻蛉」と書き、その昔は日本のことを「あきつ洲」と呼んでいたとのことである。つまり日本はトンボが多い国とされていました。
割れ石榴(ざくろ)ひしめきて夜の地震来る
【季節 秋】 秋は庭に石榴の樹があった。笊の中の割れた石榴と大きな地震、なんとなく不気味な夜である。なお、柘榴は庭でとれたものを食べることができた。それにしても最近は地震の活動期なのか、以前よりもやたらと揺れる回数が多い。地震への備えが肝要。
慈しむ母子の墓に彼岸花
【季節 秋】 墓石に「慈しむ」と刻まれていた。墓石の裏側に母子の名前が刻まれ哀れを呼ぶ。そっと添えられた 彼岸花、「慈しむ」とは悲しみや無常観を越え、もっと情感があるように思う。
晩菊の上照らしあう子の眠り
【季節 秋】 大学の先輩に足立音三さんという俳人がいたが、繊細な句を多く残し、北海道に帰り活躍していた。その方がなぜかこの句を褒めてくれた。
月山の雲粛々と秋に入る
【季節 秋】 出羽三山の一つ、月山に向かったが、天気が急変し危険を感じ月山の上までに登ることはできなかった。その時自然の力で急に変化する秋の気配を感じた。
熱き夜や昭和史長き終戦日
【季節 秋】 昭和の歴史書は沢山出ているが終戦(敗戦)の日になるとテレビでも昭和特番を組み一日中報道して いる。その日は昭和史特集を見ていて特別に暑い一日であった。
紅葉の真っ直中に上人像
【季節 秋】 場所はよく覚えていないがウォーキングで千葉の方に行ったときの句だと思う。すべて紅葉に包まれ た中に突然上人像が立っていると別世界の極楽浄土に来たかのように錯覚した。
鴨撃たれ以後密雲の重さ増す
【季節 冬】 学生時代の創作で多摩川辺りを想定し作り上げたような一句である。
玩具冴えて夜が逃げゆく雲の間
【季節 冬】 子供が一夜遊んだ後、夜明け前の寒い朝のシーンを思いながら詠んだ一句。
銅像は黒し落葉の偏平足
【季節 冬】 大学のキャンパスにある銅像である 大学一年目の冬、高校時代の友達とも別れ一人悶々としていた時期であった。
灰捨てて裏戸の冬田傷ふえる
【季節 冬】 記憶の中にある故郷の田園風景で寒々とした感じを詠んだもの。どうも心象風景のような感じである
職を探す友よ木枯らしの街に出てゆく
【季節 冬】 企業のストラ時代に会社の首切りに会った職場の同僚が転職先を探すため木枯らしの街へ向かう。 その姿を残ったもの達が見送り、厳しくつらい日々を送っていた。
雪降り積む箱の兎に余りし菜
【季節 冬】 蒲田の官舎に住んでいた小学生の頃、縁の外側においた木の檻に兎を飼っていたが、ある日雪が降り寒さに凍えていた兎を可愛想に思ったことがある。
目が笑うマスクに隠す小さな嘘
【季節 冬】 マスクに隠れた顔で口元は見えないが笑っている様子が目から読みとれる。「目は口ほどにものを言い」とはこのようなことかなと思う。
豆まきの赤鬼青鬼泣く子かな
【季節 冬】 我が家で節分の豆まきに鬼の面をかぶって豆をまき、ふざけて遊んでいたら小さい方の孫が泣きだしてしまった。
新春の海に融け込む溶岩流
【季節 新春】鹿児島から宮崎までレンタカーに乗り、最初にカーフェリーで桜島に渡り海を眺めたら昔溶岩が海に 流れ込んだ跡を発見し驚いた。もちろん今赤い高温の溶岩が流れているわけはないが、近づいた
ときにその凄さを思い浮かべた。現在もしこれを見たとおりに詠めば「新春の海に張り出す溶岩群」位い だ がそ れでは面 白くなかった。奇を狙ったような俳句になってしまい少し残念。
病食に添えられ嬉し初汁粉
【季節 新春】年末に転んで肩叉関節を怪我してお正月に入院したが、ベッドの中で手術後の痛みに堪えていたと きに出された病院食に正月のお汁粉がついてきた。病院食にしては美味しかった事を思い出す。
昼の月タワーに架かり初詣
【季節 新春】浅草寺への初詣の一句。句の中のタワーはスカイツリー、何の変哲も無い俳句だが素材の組み合わせが面白いかと?